遥かなる君の声
V J

     〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



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 思えば。ほんの数年前までの自分は、自力で歩いてゆけるだけの移動範囲でしか世界を知らないような、長閑な片田舎の寒村に住まう単なる農民の子供に過ぎなかったし。実はやんごとなき血筋の和子なのだという本当の素性が判明し、途轍もない騒動に放り込まれてしまったあの時にしてみても、ずっとずっと頼もしい方々に囲まれ、大事ないよう庇われてばかりいた身だったので。戦意の満ちた剣にて斬りつけられた体験なんて、今までに一度だってなかったこと。なので、まずは自分に何が起きたのかが判らなかった。どんって叩かれたような、何かが乱暴にも擦れ違いざまぶつかっていったような衝撃の後から、微妙な間が一瞬。それからはあっと言う間で、二の腕へ熱湯を浴びせられたような、若しくは火がついて一気に燃え上がったみたいな、途轍もなく熱い痛さが沸き上がり。その激痛が腕全部を焼き尽くさんと広がりかけたのへ、ひどく狼狽してしまったセナ王子であり。こういったことへは手慣れてらした葉柱さんが、すぐさまの止血や手当ての処置を取って下さったけれど。
“あんなにも痛いコトなんだ。”
 こんな恐ろしいことから、こんな痛い想いをすることから。自分がそれを代わりにかぶるからと、これまでのずっと身を呈してまで庇ってもらっていただなんて。それを思うとますますのこと、申し訳ないと思うし、そうまでしていただいてた御恩を返すためにも、今は何としてでも頑張らなければとも思う。

  「…ここが塒
アジトってやつらしいな。」

 数歩で行けるほど直接すぐお隣りにつながってはいない遠隔地へ、別次元の亜空という、言わば“抜け道”を経由して、ほぼ瞬間で移動する。陽の咒力の大元、大地の気脈の流れに沿っている土地と土地との移動になる、不思議な“旅の扉”に頼らない形での時空跳躍という、咒の中でも随分と高位の術を用いたらしき相手二人を。まずはそのまま、まだ背中が見えている内にと、追っていった蛭魔と桜庭に引き続き。怪我の応急処置をしていただいてから追って来た、瀬那と葉柱とが辿り着いたのは。垂れ込める空気も動かず、どこからも外光の差し込まないような窟状の空間。壁のところどころに心許ないほど小さく灯された、火皿の灯火だけという頼りない照度の中を見回したセナが、
「地下、でしょうか。」
 訊けば、やはり周囲へ注意を払っていた黒髪の導師様が、こちらへは横顔を向けたまま、くっきりと頷く。
「恐らくな。」
 もしかしたら。あのアケメネイに着いた時、焼き打ちという惨劇の気配に臆してか、少し避けたところへ降り立ったカメちゃんだったから。今回もどうなるかと、実を言えば翔んでから憂慮した葉柱さんだったそうだけど。里に降りても混乱しないよう、雑多な気配から彼を守りし封印は、もはや解かれた身なのにも関わらず。先日の水晶の谷での試練の場でも、そして今回の修羅場にも。臆することも怯むこともなく、生半可ではない敵意へ敢然と立ち向かったスノウ・ハミングさん。セナ様をお護りするためにという、戦いへの意欲は今も満ちているらしく、
「…あ。」
 この移動のためにと、大元・本来の、尾羽根の長くてそれは優美な鳥の姿でいたものが。ふわりとその身を淡く光らせて、次の瞬間には再びの四肢獣へと転じている。真っ白な毛並みに力強い四肢、煌々と輝く鋭い眼光に、楔のような強靭さをみなぎらせた牙を持つ、それは雄々しい狼へと姿を移しており。足元の敷石の床を軽く鼻先で撫でるように嗅ぐと、前方を見据えてから連れの二人を仰ぎ見る。そんな彼の仕草へ、
「こっちらしいな。」
「はいっ。」
 頷き合ったままに駆け出した二人を先導するように、白狼へと転じた聖鳥が“たかたか…”とすぐ先で軽快な走りを見せており、
“こんなところで息をひそめていたんだ。”
 先遣隊の蛭魔たちが気づいたように、セナや葉柱にも、此処が…城塞を越えない、城下の内だということは察しがついており、
「わざわざ掘り下げたみてぇだな。」
「そのようですね。」
 それが判るほどに、真新しい土の匂いばかりが強く、堅く固められるのも間に合ってないせいでか、自分たちの刻む足音もまるで響かないままな洞内だけれど、
「ドワーフの爺さんたちは、近場にこんなもんを掘られてたってこと、全く全然気づかなかったのかねぇ。」
 選りにも選って城に最も間近い城下の町へ、このような塒
アジトの洞を設けられ、大地の守護だという彼らには気配も何も伝わらなかったのだろうかと。蛭魔の例の難癖を聞いてた葉柱ではなかった筈が、それでも…何だか妙なことよのと怪訝に感じてしまわれたらしくって。
「…どうなんでしょうか。」
 どう取り繕って差し上げたらいいのやらと、こんな場合でありながら…セナも何だか言葉に困って俯きそうになってしまう。何だかどうも、ちょっぴりお呑気な精霊さんたちであるらしく、
“…それとも、これみよがしの敵意や悪意は感じなかったから、だとか。”
 いいや、そんなことがあろうものかと。暗がりの中、何物かがかぶさって来たのを振り払うかのように、実際にかぶりを振ってまでしてそんな想いを振り払う。どんな事情があったって、人へと剣をかざして襲い掛かったり、アケメネイでは里へ火を放ったりと、暴虐の限りをふるっているような輩たちなのだ。きっとそれはそれは慎重に構えて気配を殺していたか、それとも巧みな消気の結界を張っていたかして、万全の態勢で行動を取っていたのに違いない。
“無理から悪い人たちだと思う必要はないのだけれど…。”
 この世の全ては皆、捉える側の心持ち一つ。善か悪か、白か黒かというよな、二極のいずれかしかないものと断じてはいけない、そのように狭量でいてはいけないのだと、判ってはいるがそれでも。
「………。」
 駆ける足は止めぬまま、腰から下げた剣にそぉっと触れる。ドワーフさんたちが鍛え上げたばかりの、アクア・クリスタルを鋳込んだ聖なる剣。今だけは、何があろうと容易く揺らがぬ、強靭な心でいなければならないから。いざとなって震えるかもしれない心を、どうか支えてと。冷ややかな柄へと触れ、小さく祈っていると、
「…お。」
 向かう先の辻に何かが見えて来て、それが…何人もの誰かが重なり合うように倒れている山なのだと気づき、ついついぎょっとして、立ち止まった二人だったが。先頭を駆けていた白狼さんが、手前の何人かに装束越しに鼻先をくっつけてから…いとも容易く見切って飛び越したところを見ると、
「敵意はない、か。」
 といいますか。10人ちょっとほどいる全員が、見事なほどの人事不省状態になって折り重なっている。どの人物も見覚えのあるあのマント姿だったものの、その下は袖を継いだあの道士服ではない人もいて。腰やそこに差してあった剣の柄に手を添えたまま、剣を今にも引き抜こうと仕掛かってた格好でいるということは。ほぼ同じ瞬間に、一斉に倒れてしまったらしいことを示しており、
「蛭魔の仕業だろうな。」
「みたいですね。」
 一応、中の一人の口元へ手のひらを近づけた葉柱が、
「呼吸はあるから昏倒してるだけみたいだ。」
 結構な数を一瞬で、だが外傷はない倒し方に留めている辺り、
「気を遣ったか、通過を優先したからか。」
「桜庭さんもご一緒ですから…。」
 こらこら。あんたたち、日頃からあの黒魔導師さんをどういう把握で見てるんですか。桜庭さんが窘めるまでもなく、ご自身の判断で冷静に対処しておいでだってのに。そんな評を並べたりして…本人が聞いたら怒り出しちゃいますよ?
「下層へと向かってるな。」
 屈み込んだそのついでか、足元の床へと片膝ついて、冷たい敷石に手のひらを伏せる葉柱であり、
「しかも聖域だ。」
 小さな顎をひくりと震わせたセナにも、敷石越しの下層を走る気配は掴めており。
「…お城の地下のと、同じ気脈のものみたいですね。」
 あの、先の騒動の恐ろしい最終決戦の場となった地下窟の泉。葉柱の方はさすがにその当時は居合わせなかったが、その後、蛭魔に架せられていた封印を解いた折に、そこへと運んでいる身として気配の色合いは覚えていたらしく。
「ああ。それだけに…そこへの“跳躍”は使えない。」
 一足飛びのショートカットは不可能。向こうも条件は同じだから、そうそうとんでもない距離を稼がれてはいないだろうが、
「わざわざ降りてったってことは、その先にあんのが奴らのゴール。闇の眷属とやらを負界から召喚するための祭壇か何かだろうから、追いつけなかった時点でジ・エンドだ。」
「…はい。」
 後に引くつもりなど毛頭ないし、この身から離れて魂だけでも先んじたいくらい、一刻も早く早くと気ばかりが焦る。通路を塞ぐように倒れている者らの山を、まさかに踏み付けにも出来ないで、足元が不如意なセナへと葉柱さんが手を貸して下さって。
「蛭魔や桜庭が、何でもありで喰らいついて粘っててくれりゃあ良いのだがな。」
 最後のひと跨ぎはひょいと抱えて下さっての通過を終えて。ますます暗くくすんだ洞窟の先を見やりつつ、どうか間に合ってと時にもすがる想いのセナを促し、再び駆け出す二人である。





            



 何かが足りないと、警戒すべきものが姿を見せないことをずっと、頭の隅へと留め置いていたから。足元の敷石の堅さや、辺りに立ち込める空気の質が、不意に密度を増したと感じたその刹那、

   ――― ブンッ、と。

 何かが飛んで来たのへも、不意打ちへの悍気(おぞけ)こそ起きなかったものの、いかんせん、避け切るには反射と左右の空間が間に合わずで。咄嗟に、守り刀を持たぬ左の腕を、顔の前への楯代わり、斜めになるよう翳したところが、
「…妖一っ!」
 飛んで来たものがあったはあったが、剣の類でもなければ砲弾でもないそれは、特殊鋼で織ったものらしき重みのある網。弾き飛ばそうと触れたところから、ぱぁっと四方へ広がったその真ん中へと搦め捕られ、
「人を魚みたいに扱ってんじゃねぇよっ。」
 広がった勢いに押し倒されて、地べたへ薙ぎ倒されてしまったそのまんま。守り刀では歯が立たないことを何度か突き立てて確かめてから、こなくそっと もがき始める黒魔導師のその果敢さへ、
「さすがに、このくらいじゃあ めげないか。」
 粗く穿たれた窟壁に火皿を埋め込み、小さく灯された明かりと明かりの狭間の暗がり。そこから滲み出すように姿を現した人影があって、
「…っ。」
 蛭魔の身へと絡まった拘束を、外から解こうと屈み込んでた桜庭が、ハッとして振り仰いだ肩の上から。
「ぐ…っ!」
 丁度正反対のベクトル同士の出合い頭、棍棒のような何かが思い切り振り落とされて来たもんだから、
「桜庭っ!」
 突き飛ばされたそのまま、通路の上へと倒れ込んだ彼の、亜麻色の髪が鈍く光ってぱさりと広がる。
「でもね、あんたらにはこの先へと進んでもらえない。」
 さっきの奇襲の場にては、前合わせの東洋風の作務衣のような、道着風のいで立ちだったものが、ご丁寧にもお召し替えをして下さっての再登場。何本もの縄を下げたようなドレッドヘアはそのままに、二人が追っていた進と同じ、継ぎ袖の道士服に胸元へはプレートという、武装を兼ねた恰好にてのお目見えで。
「…どっかで出て来るだろうとは思っていたがな。」
「おや、そいつは光栄だ。」
 桜庭の背中をしたたかに殴りつけたのは、あの再襲撃の時に初見だった例の武器で、2本で一組の鋼鉄製の尖った棍棒。柄に近いところから枝分かれしていて、そちらも尖った切っ先が、元の支柱へ先で沿うようにと錐状に伸びており。確かサイとかいったこんな特殊な武器を扱えるところから察して、やはり彼の得手は、念じの咒よりも体術の方であるらしく。
「あんたたちは咒とやらの方が得意なんだろ? となると、俺らには微妙に不利な場所なんでね。」
 お初の顔合わせのときにはビスチェのような仮面で、先程は濃色のサングラスで。一応は隠していたその目元に、今は何の覆いもないままの。燃え立つような炎眼を晒した彼こそは、


  「まだ名乗ってはいなかったな。俺は阿含という。
   しばらくの間、嫌でも付き合ってもらうよ? お二人さん。」







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